Q.縁切り神社で人の不幸を神に祈ってバチがあたらないのでしょうか

知恵袋にてこんな投稿がありました
Q.縁切り神社で人の不幸を神に祈ってバチがあたらないのでしょうか
以前京都を散策し散るときにたまたま薄暗い神社に着きました
私は絵馬を見て陰ながら叶うよう祈るのが好きなので(子供のって「お姉ちゃんより背が高くなりますように」とか「3-Aクラス全員合格できますように」とか「うちら一生親友でいられますように」などとにかく可愛いんですよね)
どれどれと眺めていると、腰を抜かすほど恐ろしいものばかりでした
「私が病気にも関わらず家を出て行った主人と不倫相手(それぞれの住所氏名という個人情報まで記載)に天罰が下りますように」(しかもその姉まで妹のその願いが叶うようにと隣に同じ事を書いた絵馬をかけていました、、)や「○と×が別れます様に」「泥棒猫死ね」など、あまりのホラーに旦那は「怖くて見れん とっとと帰ろう」と
確かに霊感のない私でもその神社に異様な雰囲気を感じました
一人ではまず行けません
帰宅して調べると有名な縁切り神社と判明しましたが、縁切り神社とは病気や厄と縁が切れることを願う場所だと思っていたのですが、その認識は違うのでしょうか
ストーカーと縁が切れるように祈るのならば、対人であっても分かるのですが、神様に人の不幸そのものを祈ってバチが当たらないのでしょうか
仮に相手に不幸があってもそれで自分に幸福が訪れるとは思えないのですが、内容を見てもそういうことすら考えないほど強い思いがあるのだと感じました
こんなにも真剣に人の不幸を心から願う人が多いのに怖くなったと同時に、そういう願いも神様は叶えてくれるのでしょうか
回答を見ていくと、
アンサー1.絵馬の願い事が目に飛び込んで来るのは仕方ないですよね。
私もついつい「どんな願い事があるのかな?」と
興味本位で見てしまいますから。。
恐ろしい願い事は「縁切り」の使い方を間違っていますね。
困っている悪縁と縁を切るのが本当なんでしょうが、
自らの身勝手で人を不幸に陥れる願い事は
神様も聞き入れないと思います。
当然、そう願った当人には相応の罰が当たると思いますよ。
文面が表なのは、相当な「恨み」があってのものだと感じました。
そういった怨念が込められていそうな場所は「邪」がこもりやすいので
今後もう行かないようにしてくださいね。
アンサー2.私は京都の東山にある安井金比羅宮に月に一度はお参りに行きます。かれこれ15年以上も前ですが、暴力のひどい主人ときれいに別れたくて行きました。たまたまテレビを見て行きましたが、行ってからすぐに良い弁護士さんと出会えました。そしてきれいに別れることができました。その5年後に今の主人と知り合い金銭的にも恵まれ幸せな日々を送っています。行った時には必ず、悪縁切りと良縁結びを(つらい病気にならないように・・・また楽しい良い人と出会いがありますようにと)願ってきます。この神社には絵馬の館があり、たくさんのすばらしい絵馬が展示されています。とても歴史を感じるすばらしい館です。
アンサー3.たまに他人の不幸を願う方、いらっしゃるみたいですが
必ず自分に反ってくると思います。
神社でお願いしようと、自分のお部屋だろうと
同じだと思います。
続けてChatGPTの回答を見ていきましょう
まず結論からいうと――
「人の不幸そのものを願う祈りが、そのまま良い形で叶う」とは、一般的な信仰では考えられていません。
■ 縁切り神社の本来の意味
あなたの認識はかなり本質に近いです。
本来の「縁切り」は
- 病気や悪習慣
- 悪縁(暴力・依存・執着・不健全な人間関係)
- 自分にとってマイナスになる繋がり
こういうものから自分を守るために断つという意味合いが強いです。
つまり本来は
👉「相手を不幸にする」ではなく
👉「自分がそこから離れて健やかになる」
という祈りなんですね。
■ なぜあんな怖い絵馬になるのか
これは神様というより人間の感情の問題です。
裏切り、不倫、暴力、ストーカーなど
深く傷ついた人ほど、
- 「正義を取り戻したい」
- 「苦しみを分かってほしい」
- 「せめて罰が当たってほしい」
という気持ちが強くなります。
だから祈りが
👉「縁を切りたい」から
👉「相手に天罰を」へとエスカレートする
これはある意味、人間として自然な流れでもあります。
■ バチは当たるのか?
ここは少し現実的に考えると分かりやすいです。
神様が「復讐代行業」のように動く、というよりは
- 強い憎しみを持ち続ける
- 相手に意識を縛られ続ける
- 自分の心が荒れていく
こういう状態自体が自分にとっての“バチ”になることはあります。
逆にいうと
👉「離れて楽になりたい」という祈りは健全
👉「不幸になれ」と執着し続けると自分が消耗する
という構図です。
■ 神様はそういう願いを叶えるのか
多くの神道的な考えでは、
- 神様は「願いをそのまま叶える存在」ではなく
- 「流れを整える存在」
と捉えられます。
なので実際に起こるのは
- 悪縁が自然に切れる
- 関係が終わる
- 距離ができる
といった「結果」であって、
必ずしも「相手に不幸が起こる」ではありません。
■ あなたが感じた“怖さ”について
それはすごく健全な感覚です。
あの場所は
- 人の強い念(怒り・悲しみ・執着)が集まる
- 言葉も直接的で激しい
なので、霊的というより心理的に圧を感じる空間になりやすいんです。
旦那さんが「怖い」と感じたのも自然です。
■ 最後に
あなたが言っていた
「相手の不幸で自分が幸せになるとは思えない」
これはすごく本質的です。
実際、多くの人は
復讐よりも「解放」されたときに楽になります。
人の不幸を望みだしたら、それは自分自身がしんどいのだと知るべきでしょう